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未来に伝えたいさしがねの技(第1回)

 規矩術とは我々の祖神が努力と苦労を重ね創り上げた、建築設計・工作には切り離せない技術です。 『さしがね(指金・指矩)』=まがりじゃく(曲尺・曲金)・つぼかね(壺矩)・かねじゃく(矩尺)・すみがね(墨矩)・ばんしょうがね(番匠矩)等いろいろ呼び名はありますが、一般的にはさしがね(指矩)と呼んでいるようです。= 規矩術とは主にそのさしがねを使いあらゆる角度を簡単に正確に出す技と心得て頂ければ良いと思います。
 『さしがね』は、千年以上も前に聖徳太子が日本に伝えたとも言われています。
そのさしがねを利用して、あらゆる社寺・数奇屋建築の構造・意匠・木割を正確に求め墨付けをする技、たとえ一般住宅建築に対しても必要不可欠な技であり、日本伝統の技法であると私は思います。まさに規矩術は大工の命と言っても過言ではないと考えます。それが証拠に、どんなにコンピュータや機械が発展しようが、千年以上続いた『さしがね』は無くなるはずはありませんし、また無くしてはならないと思います。また、このさしがねを使いこなす規矩術については絶対に伝承しなくてはならない技術であると思います。
 規矩術には色々な技法が有り、小平起こしによる規矩、算定法による規矩、勾・殳・玄(こう・こ・げん)法による規矩、切断法による規矩、楕円法による規矩、等色々な求め方が有ります。
これらを熟知したうえで、実際の木組みの材料に大工が木の癖を良く理解した上で、規矩術を使いながらさしがねで墨をつけて行く。時には材料が1本数十万、数百万する場合があります。机の上で勉強していても経験と実績があっても、墨を任された棟梁が口に出せない緊張感の下、墨を材に直接つけて行きます。机の上では間違っても消しゴムで修正が効きますが、実際の材の上では責任と経済的損失が生じてきます。そして信用も失ってしまいます。だからこそ心配な場合は10分の1の模型まで造り検証して墨をつけて行く。そのくらい大工にとって規矩術(さしがね使い)が大切であり、棟梁として一番大事な道具であると共に、規矩術は身につけなくてはならない伝統的技術と思っております。

 私の父、5代目棟梁田子光一郎はこの大工の命である規矩術を職人の人生をかけて勉強し、田子家に代々伝わる書物を勉強し、なおかつ諸先輩が苦労の上書かれた書物も解読して、実際の大工さんたちに更にわかりやすく便利に使える、さしがね(規矩術)はないかと家庭もかえりみず昭和36年に考案したのが田子式さしがねであります。
 私がまだ9歳の時でありました。当時夏休みは勿論のこと、お盆も正月も顧みない父に不満を持っておりましたが、その分、私のお爺さんである4代目隆司が、兄弟の中でも私だけを、正月になるとこずかいをくれ、当時お爺さんの娘が横浜や千葉にいたため、お餅とお土産を持って必ず私を汽車で連れていってくれました。今考えますと、さしがねづくりに没頭していた父に代わり、遊びに連れていってくれたのであろうと思います。そんなこともあって、すっかりお爺さん子になってしまったそのことが、私の人生を変えたきっかけになったかもしれません。ちょっと横道にそれましたがそのことは後でお話するとして、何が言いたいかと申しますと、父(光一郎)は家庭も顧みず大工の命である規矩術を勉強して極めた人であると私は思っております。そんな父が兄弟でも一番出来の悪い私に規矩術を教えて下さり、なお且つ父が名づけた田子式規矩法大和流六代目を私に襲名させてくれた理由が少しわかるような気がいたします。その父も平成23年8月18日享年95歳でこの世を去りました。
今考えますに、私も父の歩んできた道を追いかけるように、訓練校の指導員から始まり校長になって合わせて24年、父と共に群馬県の建築大工職種・技能検定委員も20年間続けております。しかしながら、千年も培ってきた日本の伝統規矩術を、現在の大工さんは一部の方を除いて勉強する方が少なくなっているようです。田子家の秘法として父が残してくれた考え方を少しでも多くの大工さんに限らず建築に携わるご縁のある方たちに、さらに自分も勉強を続けながら残していきたいと考えております。

 次回に続きます・・・。

田子式規矩法大和流六代目 棟梁 田子和則

月刊 住宅ジャーナル 2015年12月号(VOL85)に掲載

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